自閉性障がい

「自閉性障がいのある子どもの療育と家族支援~本人の立場に立った理解と支援の視点~」
淡路こども園 岩崎隆彦

もくじ
はじめに
1.私たちのめざす支援の基本的視点
2.親と家族の抱える悩み、困難に対する援助
3.支援者に求められるもの~その役割と責任
4.基本的人間関係の形成と親の成長

 
はじめに
 自閉性障がいについては、障がいの早期発見、早期療育の必要性が謳われ、幼児期の保育や療育が充実してきたように見える反面、親からは「わが子とどのように関わればよいか」「専門的な治療や指導・訓練が必要か」など、子育ての不安や困難を訴える声はむしろ増えている気がします。また、学齢児や学校教育を終えた青年や成人の中には、激しい自傷、人への攻撃行動、強いこだわり、情緒不安など激しい行動障がいに陥り、地域生活が困難になっている人たちが数多くいます。親のなかには、将来への不安が増大し、「一緒に暮らしていけない」「入所施設に預けざるをえない」と思いつめる人も出てきます。
 小さいころから、専門家を含め多くの人が関っているにもかかわらず、なぜこのような厳しい事態に陥るのでしょうか?
 問われるべきは、各時期における支援のあり方、ライフサイクルを通しての支援の一貫性です。はたして、関係者は、意思や気持ちをうまく表せない子どもに対して、本人が納得のいく生活ができるような援助を一貫して行ってきたでしょうか。また、難しい状況に置かれる家族に対して十分な理解と支援をしてきたでしょうか。
 本人と家族の人生に直接関与する者として、関係者の責任は重大です。私たちは、これらの問いを真摯に受け止め、支援者としての資質や専門性を見直す必要があると思います。
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1.私たちのめざす支援の基本的視点
人としての尊厳、主体性、自尊心の尊重
 どのような障がいを持とうとも、個人はかけがえのない存在であり、その人なりの意思と感情をもって生きています。自閉性障がいをもつ子どもは、表情やしぐさ、言葉等によって、喜怒哀楽や意思、要求を周りの人に判りやすい形で伝えることが難しいため、ややもすると私たちとは気持ちの通じない「特別の存在」と見られてしまいます。しかし、本人と日々接していると、いろいろ分かりにくい部分はあるにしても、私たちと同じように、願いや意思を持ち、気持ちを通い合わせることができる存在であること、そして周りの人が自分のことをどう受け入れてくれるかに敏感で、理解してくれる人を必死で求めていることが分かります。
 私たちは、「障がいの克服」や「能力改善」という狭い捉え方でなく、人としての尊厳を重んじ、その人が自尊心を持ち自己実現に向けていきいきとした生活をしていけるような援助をめざすことが大切と考えます。そのためには、(残念ながら、現状はそうなっていませんが)乳幼児期から、学齢期、青年・成人期を通して、関係者が連携・協力しながら、本人の主体性を尊重した支援を一貫して提供できる体制を創ることが是非とも必要です。
本人の立場に立った理解と援助
 「○○するのは自閉症だから」という考え方や、子どもを指導・訓練の対象と見なして関わるやり方には、落とし穴があります。こだわりや自傷、コミュニケーションの問題などを、単に「自閉症の症状・特徴のひとつ」と捉えて済ませてしまうと、一番大切にすべき本人の意思や気持ちが見えなくなり、人と人との気持ちの触れ合いがおろそかになってしまいます。傍目には「問題行動」と見えても、それらの行動は、その子どもなりの精一杯の意思表示・感情表現であり、そうせざるを得ない理由が必ずあると考えられます。支援者は、何をおいても、行動の背景にある本当の意思や気持ちに敏感であらねばなりません。
 例えば、必死の表情で換気扇が回るのを見入っている子どもがいます。その傍らで、「自閉症だから、こんなふうに回る物にこだわるのです」と分かったような説明する人がいるとしたら、その人は子どもにとって良き理解者、良き支援者にはなれないでしょう。子どもは、その観察者的な傲慢な態度を察知し、率直に思いを伝えようとはしないでしょう。
 私たちは、本人の表情や様子から、こうした行動はいらだちや怒りを自分なりのやり方で必死に紛らわせようとしている姿と捉えます。その背景には、本人にとって嫌な経験とか思うようにならなかったことがあるにちがいないと推測します。原因が何かを探りながら、子どものいらだちや怒りを共感し受け止めようと努めることを通して(注1)、本人が身近な大人を介して気持ちを鎮めたり、意思や感情をより上手に表現したりできるように援助していくのです。
 問題と見える行動をいかにしてやめさせるかとか、治療、指導・訓練の名の下に大人の望む姿に合わせさせようとするのでなく、本人が安心感と人への信頼感を基盤にして意欲や自信を持って行動できるような援助のあり方を、私たちは創意工夫すべきだと思います。
(注1)
 大人側は「共感している」と思っていても、それが一方的な思い込みであって、客観的に見ると、子どもの方は「少しも理解してくれない」と思っていると推測されることは多々あります。例えば、与えた課題ができたとき、大人は「できたね!」とか「やったね!」と誉めたり喜んだりします。ところが、傍から見ていると、本人は硬い表情のままであったり、後でいらいらして自分の指を噛んだりしています。当事者は、その「ずれ」に気づきにくいものです。
 大人の独りよがりの判断にならないように、子どもの表情、感情表現、しぐさ、動きから、本人がどのように受け取ったか(納得しているか否か、理解しているか否かなど)を丁寧に確認する必要があります。(→注5参照)
関係論的、発達心理学的な見方の導入
 子どもは、日々の生活において、身近な大人によって不快や不安、不満が取り除かれ、欲求を満たしてもらうことを通して、安心感・安全感や満足感を得ます。その積み重ねによって、人に対する基本的信頼感(基本的人間関係)が作られていくのであり、それが土台となり自己信頼(自信)や自尊感情が培われるのです。
 自閉性障がいをもつ子どもは、何らかの理由で、本人から表出したり反応したりする力が弱いため、快・不快をはじめ種々の感情や意思などが周りの人に正当に理解されにくい状態に置かれます。その結果、不快感が解消されたり、欲求が満たされたりする経験がどうしても少なくなります。そのため、何らかの困難に直面すると、困っている状況を大人に訴えられずに自分流に処理してしまい、不安や不快な状態を一人で耐えざるをえなくなると考えられます。そうした弱さは、興奮する、いらだつ、その場を避ける、一つの物に必死にこだわる、自傷する、八つ当たりするなど、意味の分かりにくい行動として現れます。
 したがって、まず周りの大人が本人の弱い表出や微妙なサイン、行動の変化から、本当の意思や気持ちをくみ取り(注2)、対応することを通して、本人が「分かってもらえた」という実感を得られるように援助すること、そして、そこから身近な大人に対して「もっと分かってほしい」「伝えたい」という要求や意欲を育てていく援助がとても大切になります。特に、不快や不安といった負の状態を一人で耐えるのでなく、身近な大人に訴えることにより、精神的安定、安心感といった快の状態を得られる人間関係ができていくことが重要です(これを発達心理学では「基本的人間関係の形成」と言います)。
 自閉性障がいをもつ子どもも、身近な大人との間に基本的人間関係ができてくると、その人との情緒的交流を通して、自発的に模倣をしたり、感情の表し方、しぐさ、言葉などコミュニケーションの基礎を学び取り、日常生活のなかで物の意味やそれらの関係について理解を深めていきます(これを「認知の社会化」と言います)。そうした変化に伴って、自閉的と言われているような行動は確実に改善されていきます。
(注2)
 表出が弱く微妙であるということは、必ずしもそうした感情が欠如しているとか弱いことを意味しません。例えば、A君は母親に要求を伝えようと近づきますが、母親が気づかなかったり他に注意を向けたりしていると、途中ですっと横にそれてしまいます。またB君は母親が赤ん坊を抱いているときは一人遊びをしていますが、降ろしたとたんに母親に抱っこを求めます。
 これらは、自閉性障がいをもつ子どもが一見母親に無関心のように見えますが、実はその存在を強く意識していることを私たちに教えてくれます。
関係性の中で本人を理解する大切さと、関係調整の必要性
「見る-見られる」関係
 人間関係は一方向でなく、「見る-見られる」関係の中で捉えねばなりません。支援者が子どもを見ているのと同じように、その子どもは一個の主体として支援者の態度、見方、人となりを見ています。支援者が威圧的・傲慢な態度を取り、「○○させる」、「分からせる」という指示的対応を続けていくと、子どもは萎縮して従属的になったり、逆に強い反発心を抱いたりします。一方、支援者が信頼感をもって肯定的に理解しようとする態度で接していると、子どもは安心して、自分のことを理解してほしい、いろいろ気持ちを伝えたいと思うようになります。こうした相互関係に気づかず子どもの行動だけを切り離して見ていると、理解が一方的・一面的で偏ったものとなってしまいます(注3)。
(注3)
 子どもはいつも相手を見ています。大人が「訳の分からない子」「自閉症の子は○○だ」と決めつけてかかると、そういう人に対しては警戒心や戸惑いを感じるため、自発的に要求を表したり、甘えたりしません(本当の自分を表しにくいと言えます)。そうすると、その人はますます「なつかない子」「要求を表さない子」「訳の分からない子」と見てしまうので、悪循環になります。
 自閉性障がいのある人に対する理解や支援の仕方は、当然のことながら、支援者の人柄や人間観、自閉性障がいのある子どもとの経験の質によって左右されます。
関係性の中での理解と関係調整
 従来は、本人だけを対象に治療、保育、指導・訓練が行われてきましたが、それは本人に過度のがんばりを強いる結果になり、見直しを迫られています。現実の生活をみると、本人は、取り巻く多くの人たちとの交わりや関係の影響を受けながら暮らしています。私たちは、自閉性障がいをもつ人が示す分かりにくい行動や激しい行動障がいは、本人が固有にもつ障がいではなく、本人の持つ条件と周りの人の理解や関わりの相互作用によって作られると考えています。
 したがって、本人の行動の意味をより深く理解するためには、本人ひとりを見ているだけでは不十分だと考えます。その人の生活全体を視野に入れて、家庭と通う先の施設や学校、近隣など、本人を取り巻く人間関係を把握し、本人の立場に立ってそれらの関係を本人にとって安心できるように調整していく援助が非常に重要になります(注4)。
(注4)
 例えば、学校の先生はD君に対して熱心に偏食をなおす指導をしています。学校では少々嫌がってでも出されたものをきちんと食べさせることを目標にしています。連絡帳には「今日はきちんと食べることができました。」との報告が続きました。
 ところが、家ではD君は食事がうまく進まず、母親が用意した皿や茶碗を急にひっくり返したりする行動が目立ってきました。学校で食べるようになったことが、家でも意欲的に食べることにつながっていれば安心ですが、このように極端な違いが出てきたときには、生活全体を見直すことが必要です。D君は学校で頑張りすぎている(無理をしている)分、家でストレスを発散し、親にそのことを懸命に訴えているのではないかと推測されます。
母親と家族の抱える困難と、それに対する支援
 子どもにとっては家庭が地域生活の基盤であり、家庭生活が安定することは子どもの成長にとってとても大切です。ところが、幼稚園、保育所、通園施設、学校など、子どもたちが通う先では、本人に対する関わり(保育、教育、支援)が中心であって、母親や家族が抱えている様々な悩みや困難に対する(継続的な)相談や援助は十分にできません。
 実際、母親が抱えている悩みや困難は、私たちが想像する以上に大きいと言わねばなりません。例えば、発達の遅れや自閉性障がいを指摘されたり診断されたりしたときの精神的ショック、「育児の仕方が悪かったからかもしれない」、「自分のせいでそうなったのではないか」という自責の念、「何とかがんばって改善しなければ」という焦り、障がいのある子ども中心の生活から生じる様々な無理、バランス良くきょうだいを育てる難しさ、きょうだいに強いる過度の我慢、父母の協力関係の難しさ、祖父母との葛藤、近所の人の理解が得られない辛さなど、どれも深刻です。これらの悩みや困難は渾然一体となり、母親の大きな負担となっており、直接・間接に子どもに影響を与えています。
 したがって、母親の悩みや困難に耳を傾けて、気持ちが安定するように支える援助と同時に、母親や家族が自閉性障がいを持つ子どもの気持ちを理解し、良い親子関係や家族関係が築けるような援助が不可欠と考えます。残念ながら、現時点では、こうした相談支援体制は十分でないと言わざるをえません。
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2.親と家族の抱える悩み、困難に対する援助
母親を精神的に支える
 自閉性障がいの原因については、「親の責任」か「脳障がい」か、というような極端な議論から諸説あり、支援の方法についても、様々の種類の技法や療育法が氾濫しています。そうした中で、親は、「特別な治療や訓練を受けなくてはいけないのか」「どの方法が一番効果があるのか」「違いはどこにあるのか」など良く分からないまま、わが子の育児について自信が持てずに、日々大きな不安を抱きつつ生活しています。
 将来の見通しが持ちにくいだけに、「3歳までに言葉が出ないと」、「就学までに何とかしないといけない」、「将来の自立のために、厳しくしつけておかなければ」と焦り、専門家による特別の指導・訓練を求める傾向が強くなります。(このような親の焦りや専門家への過度の依存は、親だけの責任とは言えません。幼児期、学齢期、青年・成人期と、各時期の支援がばらばらで、一貫した支援体制ができていない現状の問題がそのまま反映されていると言っても過言ではありません)。母親が一人で悩んでいると、気持ちのゆとりがなくなり、実際、子どもに目が向かず、微妙なサインに気づかなかったり、手を煩わせる子どもに強く当たったりしてしまいます。そうした母親に対して子どもは大きな葛藤を感じたり、気持ちが不安定になったりして、親子関係がこじれます。ひいては、家族関係を難しく、日常生活の困難を増大させていきます。
 そこで私たちは、子どもへの療育援助と並ぶものとして、母親の抱えるしんどさや不安に耳を傾けたり、一緒に考える機会を設けたりするなどして、母親への精神的サポートを重視しています。母親は、職員だけでなく同じ立場にある親同士で悩みや困難を話すことを通して、気持ちが整理され、直面する問題に主体的に取り組む姿勢や心にゆとりをもつことができます。そうした変化を感じ取ると、子どもは確実に安心感や情緒的な安定を得ることができるようになります。
子どもと気持ちが通じて、家族の一員として暮らしていけるための援助
 共に暮らしている母親や家族は、子どもの気持ちを掴みかねている場合が多くあります。呼んでも振り向かない、一人動きが多い、働きかけても喜ばない、視線を合わせようとしない、同じことばかりしていて他のことに興味を示さない、言葉が出ない、思うようにならないと泣き叫ぶ、自傷行為、攻撃行動、親の困ることばかりをする……数え上げたらきりがないくらい多くの疑問や困難があります。それらの行動をどう理解し対応したらよいか分からず悩んでいます。うまく気持ちが通じない分、母親の心身の疲れや将来に対する不安は増幅されます。
 前述のように、家庭に様々な悩みや困難を抱え、目先の困った行動への対応に追われているときには、親はなかなか子どもの立場に立って考えられません。例えば、「親を困らせたり、人に迷惑をかける厄介な子ども」、「○○できない子ども」とわが子が否定的な存在に映ったりします。しかし、じっくり話を伺うと、母親は、わが子と気持ちを通い合わすことができない辛さ、もどかしさを感じており、良い親子関係、家族関係を築きたいと切に願っていることが分かります。
 私たちは、このような困難な状況におかれている母親が、「この子はこんなふうに思っていたのか」、「辛い気持ちがよく分かる」と、わが子の気持ちを感じとることができ、「この子と共に暮らしていて良かった」と思えるような家庭生活が送れるようになることを、支援の大切な目標のひとつにしています。
 親子通園では、いわゆる問題行動や分かりにくい行動をどう理解し対応したら良いかについて、話し合いや勉強会を重ねていますが、頭だけの理解では不十分です。実際に保育の現場で、支援者が母親と一緒に子どもに関わって、本人の興味や気持ちに合わせて遊んだり、食事、排泄など身辺の世話や日常的な活動を一緒にしたりすることを通して、親が子どもの表情・しぐさ・行動から、何を望み、何を感じ、何を困っているのかを理解できるような援助を心掛けています。支援者は第3者として親子の気持ちのずれを指摘したり、両者の間に入ったりして、気持ちが相互にうまく伝わるように援助しています。また、支援者も母親から多くのことを学びます。
 その他、こだわりをどのように理解するか、母親が子どもにとって必要な存在になるためにはどんな配慮が必要か、一人動きの顕著な子どもが大人に要求を伝えるようになるにはどんな配慮がいるか、子どもが困難に直面したときどんな援助が必要か、意思表示ができるまでの過程と支援のあり方、きょうだい関係の悩み・難しさと配慮……こうしたことを一つひとつ、母親と支援者が実際の関わりを通して確かめていくのです。これらは、互いに学び合い、協力し合おうとする信頼関係によって成り立つものであり、支援者の「個人の力量」と「チームとしての力量」が問われます。
 このように、親子通園を通して親が苦労してつかんだ、子どもに対する信頼や手応えは、将来に向けて子育ての基盤となるものであり、何物にも替えがたい貴重な財産です。それは、今後出会うであろう様々な人たち(学校の先生や関係者、地域の人、友だちなど)に、わが子のことをより良く理解してもらうために話し合ったり、本人の立場に立って人権の擁護をする必要が出てきたりしたときに、必ずや生きてくると思います。
 一方、表面的な行動への対処に追われ、専門家の治療、指導・訓練や保育、教育にわが子を全面的に委ねてしまうと、こうした手応えや実感が得られません。そのため、将来困難に直面した時に家族として乗り越えることが難しくなります。自信を失って、「自分では育てられない」とか「入所施設がないとやっていけない」など、不本意な選択を強いられる可能性があります。
専門家の指導・助言について
 専門家は、往々にして、こうした個々の家族の抱える困難や家庭事情を十分知らないまま、子どもだけ、あるいは母子のペアだけを取り出して関わり方を指導します。指導・助言の内容にもよりますが、母親が障がいのある子どもだけに焦点化して一生懸命関わると、どうしても家庭生活で無理をせざるを得なくなります。きょうだいに過度の我慢を強いたり、父母の関係がぎくしゃくしたりするなど、家族関係に大きな歪みを作り出すこともありえます。
 また、指導・助言が、子どもの発達に見合わないものであったり、対症療法的な関わりに終始して本人の意思や気持ちを軽視したり無視したりするものである場合は、母親がそれを忠実に実行しようとすると、かえって大切な親子関係を損なってしまいます。
 また、ようやく母親を求めるようになった時期に、保育園や幼稚園など集団に入れることを強く勧められたりすると、母親との分離によって子どもの戸惑いが増大し、分離時に知らん顔をしたり、迎えに行っても寄ってこなくなったりするなど、親子関係がこじれるケースもあります。
 親は必死になると、子どもがぐずったり嫌がったりなどいろいろなサインを出していても、それが大きな負担になっていることに気づきません。関係者は、このような実態があることをしっかりと心に留め、自らの助言に対して責任を負うべきだと思います。
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3.支援者に求められるもの~その役割と責任
子どもとの信頼関係を築く
 支援者は、何よりもまず子どもに好かれ、子どもに必要とされる存在になることが求められます。それには、子どものありのままを受け入れ、本人の気持ちに対する感受性、理解しようとする態度が必要です。行動や微妙なサインから、本人の意思や関心、意図等をくみ取り、本人のしていることを手伝ったり、喜ぶことを一緒にしたりします。
 親は、支援者とわが子が良い関係にあることを目の当たりにすると、「自分以外に安心して任せられる人がいる」ことを実感できます。「自分が頑張らなくては」という負担感が軽減し、そこから新たなヒントを得て親子関係のあり方も見直すことができると思われます。
指導・訓練ではなく、理解と支援が大切
 「○○させる」という指導・訓練は、子どもに対して支配的・傲慢な態度が背景にあり、力やテクニックで大人に従属させることになります。「指導しなければ」という頑なな思いで見ていると、指導者側は、期待する課題ができるか、指示に従えるかどうかに気を取られるため、子どもが不本意な気持ちを様々な形(注5)で表していても、それが目に入りません。あるいは、それがいかに子どもの生活や成長にとって重大な意味を持っているかに鈍感になります。本人が納得できないまま課題ができたことだけが評価されていくと、次第に我慢や怒りが蓄積されていきます。それは結果として、将来激しい行動障がいとして表面化する危険を十分に孕んでいます。
 したがって、支援者には、子どもが納得しているか否かを適切に判断する力と、子どもを指導・訓練の対象としてではなく、共に生きる者として捉え、その自己実現を支援する姿勢が求められます。
(注5)
 納得がいかない場合、自我の弱い子どもは、はっきりと「イヤ」という意思表示ができずに、「無表情になる」「顔を背ける」「促されないとしない」「身体を極度に緊張させる」などの形で精一杯の拒否を表します。それに構わず課題や指示を与えることを続けると、「一応指示には従うが後で急に不機嫌になる」「自傷する」「”唐突に”怒り出す、泣き出す」など、心理的負担が過剰にかかっていることを表す行動が出てきます。(「後で」は、すぐ後のこともありますが、数時間、数日後のこともあります。また、その場所ではなく、違った場所、例えば家庭で出てくる場合もあります)。葛藤が増大していくと、「嫌なのに、それをしないと気が済まない」「嫌でもやめられない」というこだわり行動になっていきます。
 一方、働きかけが適切で本人が納得できている場合は、行動に積極的な変化が見られます。例えば、柔らかな表情や笑顔、自発的な行動が増え(「できたことを喜ぶ」「できたことを自分から知らせる」「もっとしてみたいという要求や意欲が出てくる」「うまくいかないと援助を求める」など)、周りの物や人に対する興味関心が広がっていきます。
「見る-見られる」関係の中で、子どもから見られている自分を知る
 支援者には、自分が相手にどのように映っているかを知り、相手の立場に立って率直に自らの態度や関わりを見直していく姿勢が求められます。特に、大人の支援者は常に子どもに対して優位にあることを忘れてはなりません。力や威圧的態度によって小さな(それだけに配慮が必要です・・・)子どもの意思を抑えつけ、その主体性を損ない、従属させる可能性が大きいのです。本当に子どもの立場に立った援助になっているかどうか判断するには、第3者からの評価やスーパービジョンが必要です。支援者は「この人のために一生懸命している」という気持ちが強いとその分余計に防衛的になりがちですが、それを十分自覚して、親を含めて他の人の意見や指摘に耳を傾ける率直な姿勢が求められます。
親との信頼関係を作る
 親とは、「協力して子どもを支える」という関係(パートナーシップ)が望ましいと考えます。「親を指導する」、「教えてやる」という傲慢な態度では、信頼関係を築くことはできません。子どもを預けている親は支援者に対して弱い立場におかれることを、いつも念頭に置いておかねばなりません。
 支援者は、まず親の抱える悩みや困難に耳を傾け、解決や軽減に向けて一緒に考えること、そして、親子が気持ちの通い合う関係を築けるように、現場で具体的助言や援助ができることが求められます。いずれにしても、いかに良い支援ができるかは、親との間に信頼される関係を築くことができるかどうかにかかっています。良い人間関係ができると、支援者も親に対して気づきにくい点を指摘したり、補ったりできますし、親の方も支援者に対してリラックスして話がしやすくなります。それら良好な関係を子どもは身体ごと感じ取り、母親や支援者に対して良いイメージを持つようになり、対人関係が広がっていくのです。
支援者同士のチームワーク
 一人の支援者では、子どもの全体像が掴めません。子どもの気持ちを誤解したり、ある部分だけを見て偏った判断をしたりしがちです。したがって、支援者同士が互いの知恵を持ち寄り、率直に情報や意見の交換をして、できるだけ子どもの全体を理解するよう努めることが必要です(現実には、遠慮や気遣いなどで必ずしもスムーズにいかないことが多いのですが、良いチームワークが組めるかが子どもの状況の改善に大きく関与していることを忘れてはなりません)。
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4.基本的人間関係の形成と親の成長
 自閉性障がいをもつ子どもが親や支援者をしっかり求めるようになるまでには時間がかかります。しかし、基本的人間関係が形成されてくると、結果として本人の行動に確実に積極的な変化が見られます。例えば、安心できる人が一緒にいると、その人との関わりを通して日常生活において周りのことを自発的に学んでいきます。言葉を含めたコミュニケーションの仕方、物の扱い方、周りの物の関係や意味も、こうした関係の中で理解が深まるのです。自律心、自制心もその人との関係の中で少しずつ育っていきます。
 母親は、最初、「親の困ることばかりする」「人に迷惑をかけないようにしなければ」「将来のために、今きちんとしつけておかないと」「親のことを認識できていないのでは」など、大きな戸惑いや不安があります。しかし、親子通園をする中で、気持ちがすれ違って腹が立ったり落ち込んだり、また子どもの気持ちを発見して喜んだりといった紆余曲折を経て、次第に分かりにくい行動の意味や子どもの気持ちを手応えとして掴めるようになります。たとえ子どもが能力面や対人関係で弱さを残していても、その歩みがゆっくりであっても、「一緒に通ってきて良かった」、「この子もちゃんと分かっているんですね」、「可愛くなってきました」など、本人なりの成長を喜べるようになってこられます。
 そして、上のきょうだいについても、「大きいからしっかりさせないと思っていたが、同じように甘えたい気持ちがあるんですね」「ちゃんと話を聞いてあげたら、元気になりました」「障がいを持つ子にも優しくなりました」という言葉が聞かれるようになったりします。
 園では、卒園した後もニーズがあれば相談を継続できる体制を作り、親同士が先輩・後輩のつながりがもてるよう支援しています。子育てに困難や悩みはつきものであり、将来への不安や焦りをすっかりぬぐい去ることはできないにしても、こうした支援があることで、親は「困ったら相談すれば何とかなる」という安心感と「地域で暮らしていきたい」という願いを持ちながら、日々の生活を送っておられるように思えます。
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本稿は、第17回自閉症実践療育セミナー「自閉症臨床~人間性重視の療育:施設現場における療育の創造」発表資料(2000年8月23日)を一部修正したものです。

【参考文献】
1. 淡路こども園(1988):通園施設における緊急援助について-援助を通して、障がい児を育てる家庭の基盤を整える 愛護・精神薄弱福祉研究、第13回ほほえみ賞入選論文集、日本精神薄弱者愛護協会、6-25
2. 風の子そだち園生活発達療育研究部(1990):精神薄弱者の社会的自立と通所更生施設の役割-風の子そだち園の実践を通して- 大阪市社会福祉研究第13号、82-96
3. 風の子そだち園生活発達療育研究部(1992):障がい者のレスパイトサービスを考える、大阪市社会福祉研究第15号、54-70
4. 淡路こども園生活発達療育研究部(1992):障がい児の療育と家族援助-淡路こども園の実践を通して- 大阪市社会福祉研究第15号、36-53
5. 松村昌子、岩崎隆彦(1998):自閉性障がいを持つ子どもの学童期の家族支援 発達障がい研究第20巻第1号、12-24
6. 松村昌子、岩崎隆彦、加藤啓一郎(1999):どんなに障がいが重くても、地域で暮らしていくために必要な支援とは何か 大阪市社会福祉研究第22号、21-44
7. 松村昌子、岩崎隆彦(2000):障がいのある人の主体性を尊重した地域生活支援-激しい行動障がいを示す人の事例を通して- 大阪市社会福祉研究23号、72-82
8. 岩崎隆彦(2000):障がいのある子どもとその家族の地域生活を支える 月間福祉98-101
9. 岩崎隆彦(2002):通園施設における子どもと家族への支援 〈共に生きる〉の発達臨床(鯨岡峻編著)ミネルヴァ書房 56-79
10. 岩崎隆彦(2003):自閉症の人々と共に育つ~保育(児童通園施設)の立場から そだちの科学(滝川一廣、小林隆児、杉山登志郎、青木省三編)創刊第1号 特集 「自閉症とともに生きる」 日本評論社 83-86
11. 岩崎隆彦(1997、1998、1999、2000、2002、2003) 自閉性障がいを理解するためにその1~その6 マママとままま(中島誠,川野通夫編著)⑤,⑥、⑦、⑧, ⑩、⑪ アカデミア出版会
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