会報・職員の声

会報「風の輪」 第62号(平成28年11月発行)

風の子そだち園開園のころ
 昭和61年、西淀川区姫島に風の子そだち園が開園した。定員は40人で、利用者と職員の割合は7.5対1。当時の施設種別は「精神薄弱者通所更生施設」で、今考えると、何とも不思議な名称である。
 入園希望者のなかに、かつて風の子保育園でみていた子どもがいた。久しぶりに会うその子は、保育園入園当時と同じく自閉的な状態で身体だけが成長していた。お母さんは園長に「この12年間、時計の針は止まったままでした」と語ったそうである。入園者の多くは、養護学校高等部や地元の中学校を卒業した人、在籍年限により施設を転々としている人であった。
 風の子保育園の統合保育、淡路こども園での療育を経ていたため「無理に何かをさせる」こととは無縁の方針である。また、その頃主流であった内職の下請け的な作業はせず、自分がしたことの結果が見えやすい手織りやお菓子作り、創作などを中心に、日々の活動を展開した。淡路こども園での緊急援助の実践を引き継ぎ、1階の食堂横にはお風呂付きの和室があり、泊まれるようになっていた。
開園当初、利用者の多くは活動に誘いかけると応じるものの、自ら何かをしようという意欲がない。年齢は10代から30代と幅広かったが、年齢の割にはスキンシップを求める人が多く、手をつないで歩きたがる。手織りでは好きな糸を選ぶように言うと、自分では選べずに困る人がいたことも印象的であった。
 他にも「次はどうすればいいの?」と確認しないと動けない、無理強いされないと分かると興味のあることを話し続ける、園に来ても中に入らずに市バスに乗りたがる、通所が軌道に乗らないなど、職員は対応に追われた。
 一方自閉的な人たちは、人を避けるように動く、雑誌で自分の居場所を囲んで人を寄せつけないなど、こちらも対応が難しいと感じた。また、作業がしんどそうで職員が止めても必死でし続けたかと思うと道具を投げつける、道ですれ違う人を怖いと感じ自ら殴りかかるといったパニックもあり、規定通りでの職員数ではとても足りない。
 保護者は、これまでの学校や施設とは全く違う方針に、「作業をさせてほしい」「わがままになった」と戸惑いを隠せない。職員が1対1で関わる姿には「何であの子ばっかり」との苦情がでる。何度も懇談会をもっては、理解を求めた。方針が合わない、と数ヶ月で辞める人もあった。
 年度途中からは職員を増員し、個別対応を含めて一人ひとりに合わせた療育、懇談会や個別相談を継続した。家族の事情による宿泊援助や緊急的な宿泊なども徐々に増えていく。次々と湧き出てくる課題に対応しながら、成人障がい者と家族への支援を整えていく最初の時期であった。
水仙の家 施設長 榎本多美子
(昭和61年〜平成11年 風の子そだち園に勤務)

風の子そだち園の外観(開園当初)
手織りの様子(昭和64年)

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社会福祉法人 水仙福祉会