障がい者の意思決定支援について考える時、障がい者本人と本人が意思を表現しようとする相手との関係がどのようなものであるかが、非常に重要である。 普通の生活で、障がいを持った人を取り巻く主要な人間関係はおよそ3 種に分類される。一つは家族との関係であり、もうひとつは、学校や職場、施設における人間関係、最後の一つは地域における人間関係である。 去年から二順目に入った関西セミナーで、昨年度は、「本人中心の支援と家族」というテーマで家族関係を取り上げた。青葉園の発表が印象的で、親が高齢化し、亡くなって、障がいを持った本人が喪主を務めた。これまでの親に養われるという関係が逆転し、親を心配し、親の面倒をみ、最終的には喪主になるという関係の変化は、本人のあり方そのものを根本的に変えていく。 意思決定支援とは、単に何かを選択したり、表現することができるようになるためだけの支援ではない。意思決定を通して、本人が自分の存在を認め、生きていく活力を得、それが本人のエンパワーメントにつながっていかなければ意味を持たない。そのためには、支援者が本人の立場に立って、これら本人の内面に生じる変化を実感できる感性をしっかりと持ってかかわっていくことが必要であり、関係の逆転が力関係の逆転(弱者と強者)ではなく、相手を思いやる関係の逆転になるよう人間関係の調整を行っていかなければならない。 私たちの園でも、行動障がいを持った人の家族(父親)が認知症になり、亡くなる過程で、障がい者本人の中に同様な変化があり、これまでの問題行動が激減した例があった。彼もまた、これまでのような養われる関係、迷惑をかけ、謝らせられる関係ではなく、父親のことを心配し、面倒を見る関係になって、問題行動が減った、というよりは問題行動を引き起こす理由がなくなったと考えられる。このことを通して我々は、周囲の人が本人をどのような目で見ているのか、それを本人がどのように受け止めているのかが重要であることを再認識した。 今年度の関西セミナーのテーマは「本人中心の支援と地域」であった。話し合いの中から明確になったことは、地域に向けての活動をやっていればいいというものではなく、地域の人たちが普通に感謝し、頼ってくれること、そのことで障がい者本人が地域の中で認められたと感じ、やりがいを感じられることが大切だ、という点である。 行動障がいを持つ人に親を心配する気持ちがあるのか、又、地域から感謝されたいという気持ちがあるのか、と言われるかも知れないが、我々同様の責任能力があるかどうかは別にして、彼らは周りの人たちのことを気遣っているし、できれば安心できる人間関係の中で周りの人たちと共に心安らかに暮らしたいと願っている。ただ、我々の彼らを見るまなざし如何で、我々に苛立ったり、我々を怖がったり、不信感を募らせ、それが新たな問題行動の引き金になったりしているのである。 相互主体という関係性の中で本人の思いを受けとめていく、こういった視点を明確に持たない意思決定支援はほとんど意味のない、見せかけだけの支援である。 意思決定支援が何にもましてまず大切なのではない。障がい者本人が毎日の生活を納得して生きていけることが大切で、それを可能にする周囲の人たちとの人間関係、その人間関係をベースにして、本人の思いが伝わり、理解が増すことによって、より安心できる、喜びの多い人生がもたらされることが大切で、意思決定支援はその目的に向けた支援の一つの側面に過ぎない。 エピソード記述はこのような方向性に基づいて、本人主体という視点から、支援者が利用者の思いを受け止めていくために必要不可欠で非常に有効な方法と言える。相互主体性、本人の思い、本人の安心と喜び…。「私」と「あなた」の間で交わされる「思い」のやりとりを受けとめる感性を磨いていくために、この新たな方法を吟味し、活用していただきたい。 |
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