ある小学生のお母さんからの相談です。・・・「うちの子は、寝る前になると、私に『あした学校? あした学校?』と何度も聞くので、『あしたは学校あるよ』と答えるのですが、すぐにまた『あした学校? あした学校?』と必死に同じ質問を繰り返すんです。つい『しつこいなぁ、何で同じことばかり言うの!』と腹が立ってしまいます」・・・お母さん方だけでなく、支援者も、似たような経験をお持ちではないでしょうか。そこにはどんな問題が潜んでいるのでしょうか。
まず、同じ質問を何度も繰り返す理由を考えてみましょう。もし私たちが「この子が理解できないのは知的障がいがあるからだ」と言い切るのなら、一から見直しが必要だと思います。子どもは、お母さんや支援者に対して「私の気持ちを分かって!」という切実な思いがあるからこそ、ちゃんと伝わるまで訴え続けるのではないでしょうか。言葉でうまく表現できる大人なら、相手からの返答が自分の意図と違えば、同じ質問ばかりを繰り返すのでなく、「そうではなくて・・・」と言葉を補って相手に分かってもらえるように伝えるでしょう。そう考えると、先の相談例では、母子間に(お母さんには自覚できにくい)『コミュニケーションのずれ』が生じていることが分かります。その子は単に「明日学校があるかないか」を知りたいのではなく、それに付随した感情、たとえば、学校で、「友だちに嫌なことを言われて傷ついた」「先生に叱られて怖かった」「苦手な授業があるので気が重い」など、不安や気がかりを訴えている可能性があります。そうであれば、「明日は学校あるよ」の返答だけでは納得がいかないはずです。だから、何度も必死に尋ねるのではないでしょうか。本人自身がうまく表現できないのなら、本当の思いを知るには、大人から「どうしたの?」「何か心配なことがあるの?」と尋ねる歩み寄りが必要です。その問いかけが本人の不安や気がかりに一致すれば、子どもは、イエス・ノーは言えなくても、心の中で「うん、そうやねん!」とうなずくはずです。そして、そのことは、「必死さがほぐれる」「表情が和らぐ」「こちらの目をしっかり見る」など、何らかの行動で表現されるはずです。言葉が使える子であれば、「○○、イヤ」と理由を伝えるかもしれません。先の小学生は、本人とのやりとりや学校の先生との連絡を通して偏食指導が負担になっていることが分かりました。子どもにどのように尋ね、行動の背景にある思いをどのように読み取るかは、私たちの力量にかかっています。また普段から気持ちを伝え合う人間関係ができているかも重要です。
児童(幼児・学齢児)であれ成人であれ、本人が「○○行く?」「○○したら△△できない?」など、同じ質問を何度も繰り返すため、結局何を伝えたいのかが分かりにくい場面がよくあります。そんなときは、「行く?」⇔「行かないよ」、「できない?」⇔「できるよ」といった、パターン化した言葉のやりとりになりがちなため、本人の切ない思いはなかなか周りの人に届きません。「またいつもの癖(質問)が始まった」で済ませるのでなく、本人の本当の思いに焦点を当てたやりとりが求められます。本人の立場から見れば、「分かっていない」のは、訴えをうまく読み取れない私たちの方ではないでしょうか。
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