● | 視点(35)
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言葉はコミュニケーションにおいてとても大切です。しかし、言葉がうまく通じなくても、気持ちが通じあえる関係は築けます。今回は、外国から来たお子さんの療育相談、言葉の通じにくい海外で得た経験から学んだことを紹介します。 ◆一人はインドネシア人のA君(4歳)、現地で自閉症の診断を受けていました。お父さんは日本のK大学に留学、そこで発達心理学・発達障がいについて学びながら、大学の先生の勧めで私たちの法人の運営する通園施設(淡路こども園)に実習に来られました。自閉症児の理解と援助を現場で学びたいとのことでした。後にお母さんとA君が来日しました。 A君の療育を担当したのは中堅のM職員でした。M職員は「A君にとって必要な存在になろう」と熱い思いでA君とかかわりました。A君の視線の行方、表情の変化、自発的な行動に気を配りながら、A君が何に興味を示すか、周りの状況や人の動きをどう捉えているか、職員の対応をどのように受け止めているか(理解しているか、納得しているか否か)を汲み取り、一つひとつ丁寧に確認する努力を重ねました。インドネシア語は話せないので、日本語と表情・身振り・手振りを使って、A君の喜ぶことを一緒にする、困っていれば手伝う、不安なときは慰めるなど、本人が安心できる対応を心がけました。かかわりを根気強く続けるうちに、A君は着実にM職員になじみ、表情が和らぎ、笑顔が増え、手を引いて要求を伝え、抱っこを喜ぶようになりました。 ある日のこと、A君は父母の近くをウロウロする行動が目立ちました。いつもと様子が違うので、私が日本語の分かるお父さんに「何かありましたか?」と事情を聞くと、昨日夫婦間の行き違いから喧嘩になってしまったとのこと。「両親のことを気にしているのかもしれない」とA君の落ち着かない理由が推測できました。そこで、私は父母の関係調整が必要と感じて、(父親の通訳で)各々の言い分を聞くことにしました。話し合っているうちに、お二人とも表情・態度が和らいできました。すると、それに呼応するかのように、A君は母親の膝に座りにいき、父親の顔をまっすぐ見るようになってきました。A君は大切な父母の関係が修復していく過程を目の当たりにして、語調・表情・態度から醸し出される雰囲気を感じ取り、安心したのだと思います。 ◆もう一人はイギリス人のB君。私が海外研修で自閉症協会が運営するロンドンの養護学校で出会った男の子です。B君は校庭のすべり台の上に立ち、緊張した面持ちで日本からの来訪者をじーっと見つめていました。私はその鋭い視線から人への強い関心と警戒心、葛藤を感じ取り、やわらかに「Hello!」と挨拶しながらそっと手を差しのべました。すると、彼はその手を取りにきてすべり台を降りてきました。私がその流れに沿ってしゃがんで日本式のおんぶの態勢をとると、彼はすっと負われてきました。首を絞めるほどのしがみつき方から、B君の必死な思いが伝わってきました。私はオンブがフィットするように、B君のお尻を少し持ち上げ、両手を取って肩に導きました。少し力が緩まり表情が和らいだB君をおぶったまま、周りに集まってきた生徒たちとしばらく校庭で遊びました。後で校長先生にお聞きすると、「B君はこれまで来客があっても全く寄りつかなかった子なんです」と驚いておられました。 A君とB君との出会いは、「どんな子も、自分の気持ちに気づいてくれる人を必死に探している」「言葉を越えて心をつなぐ共通の絆がある」ことを教えてくれます。そして「人と人との間に築かれる安心感」は世界中の子どもの願い・療育のキーワードであると確信しました。 |