閑話休題
2016年9月・第464号「風の子だより」より

 今年の夏も焼けつくような暑さが続きましたが、一方、ブラジル・リオデジャネイロのオリンピックの話題が連日大きく報道され賑やかでした。中でも、メダルが幾つ取れたかが関心の焦点でもありました。

 或るフランス人が「オリンピックは参加することに意味がある。」と言ったことは有名な話ですが、それは選手一人ひとりの個人を指している言葉です。でも実際は、オリンピックのすべてが、国の威信のぶつかり合いの様想を表しています。

 競技で1位から3位までの選手の国の国旗が掲載され、1位の金メダルの国旗は一番高く掲げられます。そして国歌が流されます。選手は嫌でも国を代表する位置に立つことになります。こうした状況から、ロシアが国として選手にドーピング(筋肉増強剤)を使用していたという事も不思議ではないように思われます。

 貧しい小さな国の選手が、旅費を工面して参加しているのに比べ、国から多額の経費を貰い、入賞すれば莫大な賞金が交付されるのとは大きな違いがあります。オリンピックは、世界のスポーツの祭典でありますので、大国中心でなく一人ひとりの個人がもっとクローズアップされても良いのではないかと思います。

 一方、選手たちは現代の若者であり、国家を背負う意識が強いわけではありません。競技に勝利した選手は、「亡き父親や母親に喜んで欲しい。」と発言したり、指導を受けた指導者に「恩返しできた。」と述べています。これが本当の心でしょう。

 しかし、かつて勝利した選手が「私を誉めてあげたい。」と述べたり、「国民のみなさんに感動を与えたい。」というような奇妙な日本語を発言するのは、どうかと思います。

 ただテレビの報道を見ていて、色々の肌の人たちが競い合う姿、国や民族を越えて頑張っている姿は、本当にすばらしいことです。それは純粋に一人ひとりの人間個人の力の発揮だと思われるからです。

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