● | 創立60周年の風の子保育園(1) 2017年8月・第475号「風の子だより」より |
私共の法人「社会福祉法人水仙福祉会」は、今年創立以来60年を経過します。現在は、保育所の他、障がい児者施設・高齢者施設などがありますが、最初は風の子保育園が出発でした。 風の子保育園が事業を始めた昭和30年代の初めは、東淀川区で3番目の古さです。この時代は大変に貧しい時代でした。当時の子どものオヤツ代は、1日3円と国の方できめられていました。この時代でもビスケット1枚も買えない値段でした。今の保育士は、当時は保母と呼ばれていましたが、給与は大体月6,000円位で、賞与はゼロでした。0〜2才の乳児は、1人の保母が10人の子どもを担当するという過酷な基準でした。現在とは隔世の感があります。 この時代の保育所は、貧しい子どもが行くところで、地域の人たちからは、園児が通う姿を見て「可哀想に!」と思っているようでした。保育所の目的は、貧困対策か防貧対策の施設としての性格が強かったともいえますが、それだけに社会事業としてのやり甲斐があったとも言えます。 夏の暑い時期には、園庭にコンクリートブロックを横に四段積み重ね(おおむね40センチ)た四角を作り、大きなブルーシートを張ってプールを作り園児たちは水遊びを楽しみました。冬は、モクモクと黒い煙を吐く石炭ストーブを炊いて暖をとりました。でも月に1回は、煙突掃除をせねばならず大変でした。 絵本というのも未だ無い時代でしたので、保母が物語を作ってお話していました。園内に古いオルガンが1台あって、フル回転でした。こうした時代ですが、保護者との関係では暖かい人情がありました。園舎に故障があると、お父さんが修理道具持参で直してくれました。夜、園の近くで火災があった時、大勢の保護者の人が心配して駆けつけてくれました。その時の何人かは、いまの園児のおじいちゃん、おばあちゃんとして園につながっています。 この60年の間に卒園した児童は、平成29年3月の時点で1560人になります。それぞれの卒園児は、どんな生き方をしているのでしょうか。 |