● | 「学童保育」を始めた動機 (2020年10月・第511号「風の子だより」より) |
風の子児童館子どもの家は、学童保育を行なっている施設です。この施設ができた出発は次のような理由からで、忘れることができません。 それは今から56年も前のことです。春3月に卒園を予定している「みっちゃん」のお母さんが、「この子が就学しても自分は仕事を辞められない。学校から帰ったら、この子のカバンを事務所の隅っこに預かってほしい。この子は私が仕事から帰るまで、外で遊んでいるようによく言い聞かせておくので」と頼んでこられました。 「みっちゃん」のお父さんは仕事で怪我をして床に伏せっている状態で、お母さんの収入だけで生活されている大変な状況でした。この当時は、子どもが就学したら母親の多くは仕事を辞めるのが一般的でした。仕事を続けることができる方は、大体家で祖父母がいる人たちでした。 しかし、「みっちゃん」のお母さんの訴えは切実なものです。「何とかしてあげたい。これこそ社会事業だ」と思い、入学式の迫った3月末、当時の保育園2階にあった園長の私室の一部屋を空けて、その6畳の畳の間で学童保育を始めることにしました。1人の保育士を充て、採算度外視で出発したところ、3人の学童児が集まりました。以来、60年近く、この事業を行なっています。そして未だに、学童保育事業は赤字経営になっています。 保育所は働く人を支援するための施設です。子どもが就学するからといって仕事を辞めねばならないのはおかしなことです。保育所は、毎年春に1万人を超える児童を学校に送り出します。その子たちはおおむね「鍵っ子」です。みんなどうしているのでしょうか。現在、大阪市には500か所近くの公私保育所があります。この中で学童保育に取り組んでいる保育所は10数か所です。ほとんどの保育所は、得にならない事業を行ないません。スウェーデンやデンマークの保育所は、どの施設でも乳幼児の保育だけでなく、学童児の預かり援助を行なっているのと比べると、日本は大変遅れているといえましょう。 さて、前述の「みっちゃん」は今どうしているのでしょうか。もう年齢も60歳にはなっていると思います。幸せに暮らしていることを願っています。 |