嫌なことをイヤと言えないつらさ
会報「第30号 共に生きる」より(平成21年8月発行)
Tさん(35歳・男性)は、小さい頃から器用で、学校時代はスポーツやバンドにも参加。本人も笑顔で参加していたので、両親は楽しんでやっていると思っていました。ところが、風の子そだち園に入ってしばらくすると、作業や活動を一切しなくなりました。ワークセンター豊新に移ってからも1日中ベッドに横たわったまま、何やら考えていることが続きました。

 ある日のこと、Tさんが突然「サザンオールスターズ!」と言ってきました。サザンと言えば、Tさんが以前通っていた施設のカラオケでよく歌っていたとのこと。それが嫌だったことは、今まで聞いていたので、「あの時は嫌やってんなぁ」と声をかけました。するとTさんは「桑田圭祐!いとしのエリー!」と続けて言いました。私は「昔カラオケで歌ってたけど、本当は嫌やってんなぁ」と繰り返し言いました。

 その時、少し考えた表情をしたTさんが、鼻歌でいとしのエリー≠歌い始めました。私は、嫌やったのに何で歌うんやろう、何で何度も同じ事ばかり言ってくるんやろう…とその真意が掴めないでいました。Tさんは、そんな私の心の中を見透かしたように「♪泣〜かしたこともある、えんえんしますか!」「えーん、えーん」「えーん、えーん、えんえんしますか」と泣き声で繰り返し訴えてきました。その目に涙は見られませんが、こちらの目の奥を覗き見るような、力の入った鋭い眼差しでした。私はその時ハッとしました。泣きたいくらい辛い思いをしていたんだ、それをわかって欲しかったんだと気付いたのです。私は、胸が締め付けられるほど苦しく、目頭が熱くなりました。「えんえんやってんなぁ…泣きたいくらい、嫌と言えなくて、本当に苦しかったんやなぁ…」と涙ながらに言いました。するとTさんは、自分の思いが私に通じたと感じたのか、何も言わずにタオルで私の涙を拭く仕草をしました。

 このエピソードから、私は大切なことを学びました。分かっていること知っていることと、気持ちを感じることは違うということ。私が本気で考えていると本人が感じた時から、表現の仕方が変わってくるということ。Tさんも私が分からなくても、諦めずに訴えてくれるようになり、困っていることや嫌だったことをストレートに伝えてくれる事が増えてきています。

 Tさんの『えんえんしますか』という言葉には、Tさんの思いがつまっていて、私の心にしっかりと、そして強く響きました。“いとしのエリー”の歌詞にある「寄り添う気持ちがあればいいのさ♪」を実感しながら、これからもしっかり向き合っていきたいです。

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